全く従う
Wm.ギルモア著
聖書、キリスト、伝道の任命、主の再臨などの学び
目次
全く誤りのない聖書
1 聖書の奇跡的な保存
2 成就した預言
3 聖書の驚くべき統一性
4 聖書自身の無謬性の主張
5 聖書の不思議な力
この人を見よ
1 主は真実、人であられた
2 主は完全な人であられた
3 主は神に拠り頼む人であられた
4 主は恵みに富む人であられた
5 主はあわれみに満ちた人であられた
6 主は従順な人であられた
7 主は昔も今も栄光を受けられた人であられる
主の来臨
1 約束(ヨハネ14.1~3)
2 目的
3 再臨は近い?
4 主の来臨がもたらす力
完全な福音(ローマ1~8章)
1 異邦人
2 ユダヤ人
3 人はどのようにして義と認められうるか
4 恵みのうちにある私たちの新しい立場
5 聖め(ローマ6~8章)
6 聖さの追求(ローマ7章)
7 輝ける約束の朝
カレブ――伝道の先駆者(ヨシュア14.6~12)
1 カレブの性格
2 カレブの信仰
3 カレブの献身
4 カレブの報い
預言者ヨナ
1 船の中――支払いをするヨナ
2 魚の中――祈るヨナ
これぞ、わたしのしもべ
1 労苦されるしもべ
2 退かれるしもべ
3 心優しいしもべ
4 謙遜なしもべ
5 ご覧になるしもべ
6 苦しまれるしもべ
7 高く上げられたしもべ
全く誤りのない聖書
ヨハネの福音書十七章に記されている弟子たちのための祈りの中で、主は「わたしは彼らにあなたのみことばを与えました」と言われた。神のみことばはキリストから初代の弟子たちへの贈り物であり、また私たちへの贈り物でもある。私たちは意のままにそれを手に取り、置くことができる。このように身近な書物という形でこの偉大な贈り物を持っているために、私たちは時々自分がどんなに価値のある宝を持っているかを忘れてしまう。
聖書という書物を霊感による神のみことばであると私たちは信じており、それゆえに聖書には全く誤りがないと信じている。聖書に対する確信には多くの根拠があり、そのうちのどれについて語るのにも集会の時間全部が必要だろう。しかし、一つの証拠だけに注目するのでなく、多くの確かな証拠の中から五つの証拠についてだけ簡単に概略を述べよう。
一 聖書の奇跡的な保存
聖書が神のことばであるという証拠の一つは、聖書が奇跡的に保たれ私たちに伝えられたことである。聖書を与えられた神は代々にわたって聖書を見守られ、保護されてきた。その結果いま私たちは一節も欠けることのない形で聖書を持っている。ある者は異論の余地のある部分を取り除こうとした。他の者はにせの書物を付け加えようとした。彼らは神が私たちに与えられた以上に優れた聖書を提供することができると考えたようだ。しかし人は真理の書から取り去ることにも、付け加えることにも成功しなかった。数千年前の旧約聖書には三十九の書物があったが、今も三十九の書物がある。何百年も前の新約聖書には二十七の書物があったが、今も二十七の書物がある。このように聖書が完全に保たれたことは、その期間の長さを考えるといっそう驚くべきことだ。
1 聖書の経た長い歳月
人の書いた書物はすぐに時代遅れとなってしまう。書物は生まれ、流行に乗り、数年もたてば埋もれてしまう。出版社によれば五年もつのは千冊に一冊であり、一世紀もつのは五万冊に一冊もないと言う。しかし、聖書の中には、四千年以上たっている書物も含まれているが、なお衰える気配もない。聖書は時の試練に耐え抜いた。他の書物を滅ぼした嵐はこの書物に対する欲求を増しただけで、聖書はいまだにベストセラーである。他のどんな書物よりも聖書は多く印刷されており、その作業が止まることのない唯一の書物である。何百万冊も出回っており、何百もの言語に翻訳されている。私たちは聖書全体を全世界に与えることを目指すべきである。水晶の川の岸に育ついのちの木と同様にその葉は諸国の民を癒すためのものだから。さらに、聖書を広め、聖書に自分自身を守らせることこそが聖書を守る最も良い方法だからである。
2 聖書の受けた迫害
聖書の受けた迫害を考えると聖書が保たれてきたことはいっそう驚くべきことだ。聖書ほど多くの敵があるものは他にない。邪悪な人々はあらゆる方法で聖書に反対してきた。何世代にもわたってこの反対は続いてきた。なぜ神の書に対する敵対が続くのだろうか。なぜ人々は聖書をほうっておけないのだろうか。それは「年を経た蛇」、すなわち悪魔が聖書への敵対のすべての背後にいて扇動しているからである。悪魔は聖書に対して地上の悪と地獄の毒をわきあがらせている。ローマ・カトリックは聖書を焼き、イスラム教徒は聖書を呪い、無神論者は聖書を冒瀆し、批評家は聖書をねじ曲げ、科学者は聖書を不正確に伝え、聖職者は聖書を裏切った。しかしこの古い書物は今でも生きており、攻撃者が死に絶えた後も生き続けるだろう。