神の霊感の書である聖書に「大・小」といった等級はありません。
「小」というのは四巻ある「大預言書」(イザヤ書・エレミヤ書・エゼキエル書・ダニエル書)よりも短い書物であることを示しているだけです。
小預言書(ホセア書・ヨエル書・アモス書・オバデヤ書・ヨナ書・ミカ書・ナホム書・ハバクク書・ゼパニヤ書・ハガイ書・ゼカリヤ書・マラキ書)は旧約聖書の中で最も軽視されがちですが、小預言書の中には魅力も価値もあり、現代へのメッセージも含まれています。
小預言書を年代順に読み、それぞれの歴史的背景に注目することができるならば、それらは新たな美を現し、私たちの霊とたましいにはっきりと語りかけてくるでしょう。
小預言書入門
J.B.ヒューイット著
目 次
序説
1. ホセア書
2. ヨエル書
3. アモス書
4. オバデヤ書
5. ヨナ書
6. ミカ書
7. ナホム書
8. ハバクク書
9. ゼパニヤ書
10. ハガイ書
11. ゼカリヤ書
12. マラキ書
小預言書の中のキリスト
序 説
神は、私たちが必要とする糧を、みことばの中に豊かに備えておられる。その高遠な思想と壮大な表象、天の教理と個人的な適用は、知性を拡大し、性質を変えるためのものである。私たちは、「聖書はすべて、神の霊感による」(Ⅱテモテ3:16)ということを覚えて、特に好きな部分だけでなく、聖書全体を熟読すべきである。
「小預言書」という呼び方について
神の霊感に「大・小」といった等級があるわけではなく、「小」というのは、4巻ある「大預言書」(イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、ダニエル書)よりも短い書物であることを示しているだけである。小預言書は旧約聖書の中で最も軽視されているが、それらには魅力も価値もあり、現代へのメッセージも含まれている。
書かれた時期について
小預言書を年代順に読み、それぞれの歴史的背景に注目するならば、それらは新たな美を現し、私たちの心と良心にはっきり語りかける。各書巻の冒頭の節から、その歴史的背景について、ある程度知ることができる。年代順に並べると次ページの表のようになるだろう。
詳しく調べれば分かることだが、各預言書の語調と内容は、その歴史的な位置づけによって決まっている。私たちは、その背景を知ることによって、趣旨をさらによく理解することができる。
小預言書と捕囚の関係は次のとおり。
①<捕囚前>
北王国:ヨナ書、アモス書、ホセア書、ミカ書
南王国:ヨエル書、ミカ書、ナホム書、ゼパニヤ書、
ハバクク書(イザヤ書、エレミヤ書)
②<捕囚期> オバデヤ書(ダニエル書、エゼキエル書)
③<捕囚後> ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書
預言者たちの簡単な紹介
ホセア 懇願する預言者(11:1,3,8、14:3)
主題は二つある。「主の揺るぐことのない愛」と「その愛に対するイスラエルの冷たい無関心」。親のあわれみ、気遣い、心配と、どんな無関心や反抗にもかかわらず耐え忍ぶ愛を、ここに見いだすことができる(Ⅰコリント13:7,8参照)。背信の民に向けられた神の愛は、回復と祝福で終わる(ホセア14:1-8)。
ヨエル 簡潔・率直な預言者
彼の文体と言葉遣いは写実的であり、展開は分かりやすく、比喩的表現は独創的で変化に富んでいる。彼は、生き生きとした隠喩によって「主の日」を描いている。ある特別な意味で、彼は、聖霊とディスペンセイション(時代区分)について述べた、旧約の預言者である。ヨエル書の主題は、アモスとイザヤがその範囲を広げ、ペテロが言及し、ヨハネが黙示録で展開しているものである。ここでは、不毛があふれる恵みに、さばきが歓喜に変えられる。
アモス 牧羊預言者
神は、みことばを語って御目的を果たすために、身分の低いこの人物をお用いになった。彼の文体は力と気品に満ちているにもかかわらず、簡潔なものである。彼は、自分が生まれ育った丘陵地帯の光景や、不毛の荒野の眺めをもとに、生き生きとした比喩的表現を用いている。たとえば、打穀機(1:3)、杉の木と樫の木(2:9)、ほえる獅子(3:4)、わなにかかった鳥(3:5)、2本の足、耳たぶ(3:12)、釣り針、もり(4:2)、雨(4:7)、立ち枯れと黒穂病(4:9)、嘆く農夫(5:16)など。
オバデヤ 特権を与えられた預言者
彼は、「主のしもべ」、もしくは「主を礼拝する者」という自分の名に恥じない生き方をした。彼は、エリシャか、もしくはエレミヤと同時代の人で、彼が預言を記したのは、エルサレムが略奪された後、イドマヤ(エドム王国)陥落の前かもしれない(エゼキエル35章、エレミヤ49:7-22、哀歌4:21参照)。この書は旧約聖書の中で最も短い書巻であるが、預言的な事柄を見事に浮き彫りにしている。言葉遣いは簡潔、用語は少なく、意味は明白である。この書には、エドムがたどった道とその性格、運命、滅亡が記されている。
ヨナ 追跡された預言者
ヨナ書には、神がひとりの聖徒と一つの国を恵みをもって取り扱われたことが記されている。ここには、私たちのわがままにもかかわらず、私たちを突き放さない愛がある(テトス3:4,5、ルカ22:31,32、ヨハネ21:15-19参照)。このしもべの名前が列王記第二の14章25節に記されていることから、彼が歴史上の人物であったことは議論の余地なく明らかである。主イエスが彼の働きに言及されたことから(マタイ12:39-41、ルカ11:30-32)、この話が事実であることは明白である。ヨナは、異邦の民に遣わされた唯一の預言者である。本書は、第2章以外は単純な物語形式になっている。
ミカ 村の出の実際的な預言者(1:10-15、6:8)
彼がメッセージをどのように伝えたかによって、彼の個人的な資質と、預言者としての力を判断することができる。彼は、アハブの治世に預言した、イムラの子ミカヤ(Ⅰ列王記22:8,13)と同じ人物ではない。彼の文体の特徴は、突然話を中断して、劇的に応答することである(2:5,12、3:1、6:6-8、7:18など)。7章18-20節に記されている主のご性質は、旧約聖書の中で最もすばらしい記述の一つである。
ナホム 詩人のような預言者
主題はただ一つ、ニネベの滅亡だけである。この書は、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる」(ローマ12:19。詩篇94:1、99:8も参照)という聖句の、歴史上の実例である。さばきが1章で告げられ、2章で描かれ、3章で再説される。彼は、神がご自分の義をもって世界を治められることを記している。
ハバクク 困惑した預言者
彼はすぐれた叙情詩人だった(特に3章を見よ)。彼は2章4節で、心から神に頼る者を励ましている。この預言書の卓越性は、その霊的価値にある。「正しい人はその信仰によって生きる」(2:4。ローマ1:17、ガラテヤ3:11、ヘブル10:38も参照)。苦しみを受け、神が沈黙しておられるように見えることに困惑しながらも、信仰をもって神にすがり、ついに勝利に至る。
ゼパニヤ 約束する預言者
彼の名前は「主によって隠された者」、または「秘蔵された者」を意味する(2:3、詩篇27:5)。彼は「主の日」というテーマを扱っている。彼のメッセージは「二つの日」を主要なテーマとしている。一つは「御怒りの日」であり、もう一つは「御救いの日」である。罪には必ず暗やみが続き、神に背けば必ず神の力も失われる、と彼は主張している。けれども、悔い改めて神に立ち返るなら、すべてが回復される。
ハガイ 教え諭す預言者(1:13)
自分の責任を果たさない者たち――自分のことを第一とし、物質的な事柄によって霊的な事柄を締め出す者たち――に対する彼の警告を、今日の私たちも心に留める必要がある。彼の時代の人々と同じように、奮い立ち、勤勉に努めなければならない。
ゼカリヤ 描写する預言者
彼はハガイと同時代の人で、ゼカリヤのほうが若い(2:4)。彼は、神の霊感を受けた昔の預言者の中で最も偉大な人物のひとりだった。彼の書は、旧約聖書の中でも最も印象的な幻で満ちている。後半は明らかに「メシヤ」と「世界の終末」について語っており、はるか地平線の彼方にある「主の恵み」を私たちに見せてくれる。
マラキ 根気よく警告する預言者
彼の使信はイスラエルとユダ両方の民に向けられたものである。二つの王国が神の摂理において一つのものとみなされている。彼は、はっきりと力強く述べており、講義調の問答形式には私たちへのメッセージも含まれている(「あなたがたは言う」という表現に注目せよ。1:2,6,7、2:14,17、3:7,8,13)。
本文より抜粋
(小預言書の中のキリストより)
ゼカリヤ書 受難者・主権者(13・7、9・9-11)
へりくだって来られたキリストは、拒まれ、殺されたが、まもなく力と栄光のうちに再臨される。
このお方は、イスラエルを思い(1章)、新しいエルサレムの「幅と長さ」を測り
(2章)、「若枝」として現われ(3章)、厳かに王位につき、ご自分の祭司職において仲介者となられる(6章)。
この王なる救い主は羊飼いのような「夫」(9-11章)、主権者、統治者(12章)になられる。
聖別された「カルバリのいけにえ」(13章)は、イスラエルの確かな守りとなる
(14章)。
「小預言書入門」の素晴らしさは、学びやすさにあります。
ホセア書を例に説明しましょう。
書名・年代・背景の説明の後、政治的状況・社会的状況・宗教的状況からホセア書をとらえ、霊的な適用・分析に続いて、研究課題として福音的見地・メッセージの題材・
実際的かつ預言的な事柄の説明でホセア書を締めくくっています。
本書を通して、小預言書の素晴らしさにあらためてふれて下さい。