北アイルランドの赤いユリ
J.A.ヒューイット小伝
井上 浩 著
はじめに
「ヒュイットさん」――初めて聞く名前だと思います。
ジョン・アレクサンダー・ヒューイットというのが本名です。私たち日本人は、外国から来た人の名前を言いやすくするので、ジョンが来日した頃の日本のクリスチャンたちは、親しみを込めて「ヒュイットさん」と呼んでいました(以後彼の名をヒュイットとします)。そう言えば、明治時代に来日し、ローマ字を作り、文語訳聖書を作ったペップバーンという人も、多くの日本人は「ヘボンさん」と呼んでいました。
私もヒュイットの名前を知りませんでした。彼のことを聞いたこともありませんでした。初めて聞いたのは、ある特別聖書学び会だったと思います。戦時中、イギリスから日本に来た宣教師がいて、彼が日本で亡くなったということ、その死が哀れであったということが語られました。北アイルランドから来た伝道者が、殉教的な死を遂げたということでした。
ヒュイットについて知りたい、調べてみたいという思いが日々強くなってきました。
そこで、「このうえなき喜び」(ベルニー・リード著)や「雲のごとく」(滝川晃一編)などを読みました。しかし、あまり詳しく書かれていないこともあったので、さらに追求したいという気持ちになってきました。五十~六十年前のことです。ヒュイットについて知っている人がいるのではないか、会ったことのある人がいるのではないかと考えて、いろいろな方に聞いてみました。しかし、知っている方はあまりおられませんでした。一九三八年以降の日本のキリスト諸集会を知っている方は、ほとんど召されてしまったのです。一九九八年一月の東京・大京町での特別集会で、ヒュイットを知っている藤井せよ姉(自由が丘キリスト集会)にお目にかかって、お話を伺えたことが大きな弾みになりました。藤井さんが、「ヒュイット兄のことを調べておられるそうですね。ヒュイット兄は本当にかわいそうでした」と涙ながらに言われたとき、老姉妹の悲しみと、過去の深い心の痛みを見たような気がしました。また、調べることを励ましていただきました。
その後、ヒュイットの友人だった方、かつて日曜学校で彼から教えられた老姉妹、北アイルランドにおられる親戚の方のお話を伺う機会が与えられました。主イエスを愛し、日本人を愛し、はるか海を越え、十字架の救いを伝えに来たひとりの若い伝道者のことを証ししたいと思います。
この小冊子を若いクリスチャンすべてに捧げます。
二〇〇六年 七月
下僕 井上 浩
目次
はじめに
第一章 幼き日々
第二章 青年期
第三章 ライト兄との出会い
第四章 はるかな国 日本へ
第五章 記憶の中
第六章 婚約者
第七章 投獄と死
第八章 最後の手紙
あとがき
お世話になった方々
J・A・ヒュイットの略年譜
参考文献
J・A・ヒューイット略年譜
神の愛と救いを知らず、滅びに向かう日本人を愛し、
戦前の日本へと主に遣わされた一人の宣教師、
ジョン・アレクサンダー・ヒューイット。
昭和13年、日本へやって来たヒューイットは、
戦争中も祖国へ帰ることなく日本で伝道を続け、
昭和16年、特高警察に捕らえられ、キリストに対するあまりの熱心さのゆえ、
精神病と断定され、精神病院で、拘束されたまま
昭和17年、35年の生涯を閉じた。
『私は今や注ぎの供え物となります。
私が世を去る時はすでに来ました。私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、
信仰を守り通しました。
今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。
かの日には、正しい審判者である主がそれを私に授けてくださるのです。
私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるので す。』
(Ⅱテモテ 4・6~8)
勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、
信仰を守り通したヒューイットの35年の生涯を綴った書。