私が諸教派の活動に参加できない理由
ウィリアム・トリュー著
はじめに
著者ウィリアム・トリュー兄は、長年にわたって神に仕え、実り多い働きを忠実になさった後、一九七一年八月六日、主のみもとに召されました。
私が専心の働き人に推薦された集会でこのメッセージを聞けたことは光栄でしたし、聖霊はそのメッセージを用いて、この件に関する私の確信をさらに明確なものとしてくださったのです。
ご兄弟が召されて以来、私はこの小冊子が再版されることを心から願ってきました。その内容が、集会の交わりのうちにあるすべての信者にとって非常に重要であると確信したからです。
特に、世界教会主義(エキュメニカリズム)へと傾きつつある今日、すべての信者が私たちと意見を共にされ、同じ確信を持たれるようになることが私の切なる祈りです。
ジェームズ・D・マッコール
まえがき
これから書き記すことは、スコットランドで学ばせていただいたものと同じ内容です。その学びのことを聞かれた多くの方々の再三の要望にお応えし、ここに出版の運びとなりました。この小冊子が用いられ、この件について導きを求めている多くの兄弟姉妹たちの助けとなるようにとの切なる願いをもって。
著者が「私」という一人称代名詞を何度も用いているのをお許しください。個人的な確信として述べたほうが賢明だと思うからです。
これは、「集会」に属している信者の皆さんに対して学ばせていただいたものです(皆さんは、神のみこころについて教えられたところに従って「集会」という立場を受け入れた方々です)。言い換えれば、皆さんがおとりになった立場と一致した行動をおとりになるよう懇願するものです。
本書が用いられ、兄弟姉妹たちを「主のまっすぐな道」(使徒一三・10)に進ませたとすれば、主に栄光が帰され、著者も満足する次第です。
私が諸教派の活動に参加できない理由
私が主に仕え始めてから、もうかれこれ三十年になろうとしています。その間、英国の各地を訪れ、多くの集会(assembly)と交わりを持つようになり、それらの動向を見守ってきました。その変化に注目し、多くの集会が集会としての特質を失っていくのを見てきました。今日では、世的な事柄が驚くほど諸集会に侵入し、概して若い人たちの霊的成長が欠如しています。その原因を分析しようと努めた結果、私は次のことをますます確信するに至りました。すなわち、そのおもな原因の一つが教派連合主義という近代的精神にあるということを。それは「寛容な心」と「愛」という装いをして訴えてきます。実際、この主義を唱える人たちの多くは、「同じ信仰を持つ他の信者たちを愛するがゆえに、超教派の活動をするのだ」という口実のもとにそれを行っています。しかし、ヨハネの手紙第一の五章二節からはっきりわかるとおり、「同じ信仰を持つ他の信者たちを愛すること」は、私たちが神の命令に従うことによって示されるのです。もし、同じ信仰を持つ他の聖徒たちを本当に愛しているならば、彼らを促して神の道に歩ませたいと願うことでしょう。そうすることだけが、彼らに豊かな祝福と真の幸福をもたらすことを知っているからです。しかし、彼らがそのように歩むよう、影響を与えることができるのは、その人自身が他人の模範となれるほどまでに神の命令に従順に歩んでいるときだけです。妥協して神の真理を曲げることが「愛の証拠」であるはずがありません。
私は最近、いくつかの地域集会で続けて奉仕をしていますが、それらの集会は霊的に貧しく、大いに悲しむべき状態です。それが、何年にもわたって諸教派の活動に携わった結果であるということは否定できません。私にはそれが起こるべくして起こったことのように思えるのです。教派の活動に参加しながら、神の集会を堅固な基礎の上に建て上げることなど、絶対に不可能だからです。私たちはそれが証明されるのを何度も見てきました。