
A6判 741頁 2,484円(税抜2,300円)
1年をとおして朝夕、読むための聖句選集。限られた時間で、みことばそのものを味わうことができる。新改訳聖書の聖句を引用。クリスチャンへのプレゼントにも最適。
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日々の光
日常生活の営みの中で、つい時間に追われみことばに触れる時間をおろそかにしがちな私たち・・・そんな私たちに主は言われる
「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。
彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカの福音書10章41節から42節)
私たちもマルタのようにいろいろなことを心配していないだろうか、いろいろなことに気を取られてはいないだろうか。主が言われたどうしても必要なことはたった一つしかない。
「彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。」(ルカの福音書10章39節)
主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていたマリヤは、弟子たちが誰一人、さとりえなかったことに心をとめていた。イエス様が、マリヤの罪の身代わりに、命を捨てられることである。そのため、マリヤは、イエス様のために 葬りの準備をすることができた。
「マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。 「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。」(ヨハネの福音書12章3節から7節)
「日々の光」は、1年を通して朝、夕、みことばを味わう手助けとなる聖句編集です。
本文を公開いたします。
1 月 1 日 (朝)
ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろ
のものを忘れ、……キリスト・イエスにおいて上に
召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざ
して一心に走っているのです。(ピリ3・13.14)
父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。……わたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。(ヨハ17・24)私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、そのん方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信している。(Ⅱテモ1・12)あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださる。(ピリ1・6)
競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。(Ⅰコリ9・24.25)いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。……イエスから目を離さないでいなさい。(ヘブ12・1.2)
1 月 1 日 (夜)
主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとと
もにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見
捨てない。(申31・8)
もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。(出33・15)主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。
(エレ10・23)
人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。
(詩37・23.24)
私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。(詩73・23.24)
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(ロマ8・38.39)
1 月 2 日 (朝)
主に向かって新しい歌を歌え。(イザ42・10)
われらの力であられる神に喜び歌え。ヤコブの神に喜び叫べ。声高らかにほめ歌を歌え。タンバリンを打ち鳴らせ。六弦の琴に合わせて、良い音の立琴をかき鳴らせ。(詩81・1.2)主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。(詩40・3)
強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。(ヨシ1・9)主を喜ぶことは、あなたがたの力である。(ネヘ8・10 別訳)パウロは……神に感謝し、勇気づけられた。(使28・15)
あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。(ロマ13・11-14)
1 月 2 日 (夜)
私の祈りが、御前への香として、私が手を上げるこ
とが、夕べのささげ物として立ち上りますように。
(詩141・2)
あなたは、香をたくために壇を作る。それをあかしの箱をおおう垂れ幕の手前、わたしがあなたとそこで会うあかしの箱の上の「贖いのふた」の手前に置く。アロンはその上でかおりの高い香をたく。朝ごとにともしびをととのえるときに、煙を立ち上らせなければならない。アロンは夕暮れにも、ともしびをともすときに、煙を立ち上らせなければならない。これは、あなたがたの代々にわたる、主の前の常供の香のささげ物である。
(出30・1.6-8)
ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(ヘブ7・25)香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。(黙8・4)
あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。
(Ⅰペテ2・5)
絶えず祈りなさい。(Ⅰテサ5・17)
1 月 3 日 (朝)
主は……彼らをまっすぐな道に導かれた。(詩107・6.7)
主は荒野で、獣のほえる荒地で彼(イスラエル)を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。わしが巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。ただ主だけでこれを導かれた。(申32・10-12)あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。(イザ46・4)
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。(詩23・3.4)
主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。
(イザ58・11)
この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神であられる。神は私たちをとこしえに導かれる。(詩48・14)神のような教師が、だれかいようか。(ヨブ36・22)
1 月 3 日 (夜)
わたしに何をしてほしいのか。……主よ。目が見え
るようになることです。(ルカ18・41)
私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。(詩119・18)イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開かれた。(ルカ24・45)
助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教えてくださいます。(ヨハ14・26)すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。(ヤコ1・17)
どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。(エペ1・17-19)