ホセア書・ヨエル書
旧約聖書講解シリーズ
フレデリック・A・タトフォード
目 次
ホセア書
はじめに
不幸な結婚(一章)
懲戒と回復(二章)
あやまちを犯す妻(三章)
この国の民の性質(四章)
迫り来るさばき(五章)
うわべだけの悔い改め(六章)
道徳の崩壊(七章)
差し迫った侵略(八章)
消え去った喜び(九章)
イスラエルの罪(十章)
卑劣な恩知らず(十一章)
ヤコブの挑発(十二章)
あとを絶たない罪(十三章)
祝福への帰還(十四章)
ヨエル書
前書き
はじめに
荒れ果てた国土(一章)
未曾有(みぞう)の大惨事(二章1‐17節)
苦難からの解放(二章18‐27節)
霊的祝福(二章28‐32節)
再臨(三章)
〈補遺〉 聖霊について
ホセア書
はじめに
アモスやイザヤと同じ時代に生きたホセアは北王国イスラエル出身の人であった。このことは、彼が北王国の政治的、宗教的状況を熟知していたことや、彼の歴史的、地誌学的言及から明らかである。また、北王国独特の言葉遣いを指摘する言語学者たちもいる。その実例はたくさんあるが、たとえば七章五節には「われわれの王」という表現が出てくる。それに、彼の働きは明らかに北王国に対するものだった(もっとも、南王国ユダに言及している箇所もいくつかあるが)。
この預言者に関しては、ホセア書に書かれていること以外は何もわからない。彼の名前である「ホセア」は「救い」を意味する。北王国の最後の王や、モーセによって改名される前のヨシュアの元の名前と同じである(Ⅱ列王記一五・30、民数記一三・8、16)。また、ダビデの時代のエフライム族の部族長や、ネヘミヤの時代に盟約に印を押した「民のかしら」にも同じ名前の者がいた(Ⅰ歴代誌二七・20、ネヘミヤ一○・23)。
ある注解者たちは、ホセアはイッサカル部族のベヘモスの出身で、この町に葬られたと言っているが、彼の父親はルベン人だったという伝承もある。ユダヤ人の伝説によれば、彼はバビロンで死んで葬られたが、その墓はガリラヤ北部のサフェドにあるという説もあれば、ヨルダンの東にあるラモテ・ギルアデにあるという説もある。彼の部族、出身地、および墓に関しては、実際のところ、確かな情報がないのである。
祭司、神殿、祭り、ささげ物、そして律法にたびたび言及していることから、ホセアは祭司だったと言う者たちもいるが、この憶測には十分な裏づけがない。それどころか、祭司たちに対するホセアの口調は、彼が別の立場にいたことを示している。もし彼がレビ族だったのなら、長年祭司の務めを離れていたことや、エルサレムにいなかったことに対して疑問が生じる。このように、彼が祭司職と関係があったという説には証拠がない。金の子牛やバアルを拝む祭司たちをホセアが糾弾していることによって、彼が祭司の務めにあった可能性はなくなってしまう。
ホセアが農業に精通していたことは、この預言書から容易に読み取ることができる。彼が用いた象徴やたとえには農業に関するものが多い。ジョージ・アダム・スミスも次のように言っている。「初めの雨と後の雨、とうもろこしの生育、花の香り、いちじくの初なりの実、咲き乱れるゆりの花、垣根に巻きつく野生のつる草、毒麦の畑、日差しを浴びてそよ風に揺れるオリーブの美しさ、エフライムの夏の朝もやと朝露、山から降りて来る夜風、レバノンの芳香といった自然の描写ばかりか、煙突から出る煙、麦打ち場のもみがら、飛び立つ鳩(はと)、鳥猟者とその網、耕地の開拓、土地をまぐわでならすこと、刈り入れ、脱穀をしている雌牛、荷車を引いて坂道を上る牛と、えさを与える御者といった人間の営み――こういった表現から、ホセアといっしょにシリアの四季を感じることができるほどである」。この書はまさに田園の風景と香りに満ちている。
それと同時に、ホセアが裕福だった可能性も高い。彼の言葉遣いや引喩、直喩・隠喩などの比喩的表現は、ホセアが教養の高い人物だったことを示している。
彼がまだ若いときに預言者の働きに召されたことも確かである。結婚できる年齢になってそれほどたたないころに預言し始め、妻を迎えるようにと命じられたのだろう。
ホセアがウジヤの時代からヒゼキヤの時代まで働き続けたことから、E・B・ピュージはホセアが預言した期間を約七十年と推定している。つまり、かなり長生きをしたことになるが、伝承でも、彼は長寿を全うしたことになっている。彼の公の活動期間は一章一節から推測するほかないが、彼の働きが何年に始まり、何年に終わったかは記されていない。
ホセアは晩年にユダで隠遁生活を送り、自分の預言を書き留めたと考えられている(サマリアが陥落した後のことだろう)。「ホセア書はユダ出身の編集者によってかなり校訂された」と主張する批評家はたくさんいるが、むしろ、ホセア書全体がホセア自身によって編集された可能性のほうが高い。
ホセアが気の強い性格だったことは確かである。H・エワルドの意見では、ホセアは激しい敵意やひそかなたくらみと戦わずにはいられなかったという。勇敢だった彼は時代の趨勢や風潮に屈することなく、あからさまに反対されながらも、そのころ流行っていた豊饒神崇拝の悪習を激しく非難した。彼は個人的に深い悲しみを味わったことで、ほかのどの預言者も経験したことのないほど、神のお気持ちを理解できるようになり、主なる神の愛をその民に明らかにした。彼が鋭い霊的識別力を持っていたこと、そして、神と御民に献身的に仕えたことに疑いの余地はない。