エズラ記・ネヘミヤ記・エステル記
旧約聖書講解シリーズ
H.A.アイアンサイド
目次
エズラ記
序文
第一章 聖別された器
第二章 御名のある場所に帰る
第三章 神の宮と主の祭壇
第四章 敵対する者たち
第五章 預言者の任務
第六章 主の宮の完成
第七章 二度目の旅立ち
第八章 信仰者たちの行軍
第九章 「雑婚」による堕落
第十章 卑しめられ、再び高くされる
ネヘミヤ記
序文
第一章 訓練された人
第二章 失敗したあかし
第三章 エルサレムの門
第四章 兵士としてのしもべ
第五章 内部紛争
第六章 罠と計略
第七章 秩序の回復
第八章 律法の朗読
第九章 祈りとみことば
第十章 再出発
第十一章 自発的な人々
第十二章 城壁の奉献式
エステル記
序文
第一章 王宮の大宴会と王妃ワシュティの追放
第二章 エステルの選択と阻止された反逆
第三章 アマレク人の激怒と運命の宣告
第四章 灰と荒布の中で
第五章 恵みの笏と酒宴と絞首台
第六章 眠れない夜の出来事
第七章 二度目の酒宴とアマレク人の最期
第八章 高く引き上げられたモルデカイと恵みの法令
第九章 (1)解放(1-19節)
第九章 (2)プリムの祭りの制定(20-32節)
第十章 平和について
エズラ記
序文
旧約聖書には非常に密接に関連する書巻が七巻あります。そのうちの三巻は歴史的な書巻、別の三巻は預言的な書巻、残りの一巻は歴史的かつ預言的な書巻と言えるでしょう。すなわち、最初のグループにはエズラ記・ネヘミヤ記・エステル記、第二のグループにはハガイ書・ゼカリヤ書・マラキ書、そして最後の一巻にはダニエル書が相当します。これらの書巻はすべて、ある一つの出来事と大いに関係しています。言うまでもなく、それは、七十年間にわたる捕囚の終焉を始めとする神の特別なみわざのことです。エレミヤの預言どおり、パレスチナの地は失った安息を取り戻そうとしていました(エレミヤ二五・11-14、Ⅱ歴代誌三六・21、ダニエル九・2)。この荒廃の期間、その地の民は最初バビロン王の奴隷となり、バビロン滅亡の後はペルシャ王に隷属しました。バビロンは偶像礼拝の巣窟ともいうべき国で、人々は悪魔によって扇動され、間違った礼拝にふけっていました。
そこにはあらゆる邪悪な教えが萌芽状態で存在していたのです。神によって与えられた啓示から人々の目をそらせようと、悪魔は昔から巧妙な手口を考え出してきたものです。
神はユダヤ民族の中に深く根ざしてしまった偶像礼拝を取り除こうとされました。「強暴で激しい」(ハバクク一・6)異教徒のカルデヤ人に彼らを渡されたのは、まさにこの理由からです。偶像とは邪悪な霊に踊らされた人間の「想像の産物」にすぎません。至るところに偶像が氾濫した異国の地で、彼らは自分たちの愚かさを十分に学びました。「若いころの連れ合い」(箴言二・17)を見捨てて、この世の憎むべき「多くの神や、多くの主」(Ⅰコリント八・5)を慕った結果の悲惨さを、彼らはいやというほど思い知らされたのです。退廃した異教の砦ともいうべき国での経験を通して、彼らはそれまで見過ごしていた神のことばの重要性を教えられました。彼らは偶像礼拝という「病」からいやされ、神の恵みにより回復されたのです。
(中略)
かつてのユダヤ人の「残りの民」に対する神のお取り扱いを祈りつつ学ぶことはたいへん有益です。この書は全時代の信者に対する豊かな教訓で満ちています。祈りつつ「学者エズラ」の記録をともに学びましょう。エズラ記は極めて実際的な教訓に満ちた書巻と言えます。