ある兄弟は子供のころ、「死」について考え、怖くて眠れぬ日を過ごしたことが、多々ありました。
なぜ、人間は、死ぬの。死んだらどうなるんだろう・・・。死は、怖い。無。不安。・・・恐怖。
決して逃れられないものなの?「死」について考えれば、考えるほど、不安と恐怖が幼い心を支配します。
誰かに、「死」について答えて欲しいと願いましたが、その答えを得ることは、できないだろうと子ども心に理解していました。
このように、私たちには、「なぜ?」が、つきまといます。なぜ、人間は、死ぬの?死後の世界は?私に救いは、あるの?神は、存在するの?キリストは、なぜ、死なれたの?
なぜ、なぜ、なぜ?・・・
「なぜ・・・」が、どうしても知りたい兄弟は、答えを真剣に探し求める者となりました。
福音冊子「なぜか?」は、このような疑問を持つ者にとって最適の書物です。
真理を分かりやすく聖書から解き明かし、創造主なる神、罪、キリスト、贖い、新生といったテーマについても、聖書に基づいて、答えを与えてくれる1冊です。
110万部以上売れた福音冊子「なぜか?」が、表紙も新しく改訳版として生まれ変わりました。
なぜか?
R・A・レイドゥロー著
ある青年が百万円もするダイヤの指輪を恋人にプレゼントしたとしましょう。彼は、その指輪を、サービスしてもらったビロード製の小箱に入れて贈ることにしました。ところが、数日後、彼女がいきなり次のように言ったとしたら、その青年はどんな気持ちになるでしょうか。「あの小箱はとてもすてきだわ。本当にありがとう。傷つかないよう、大切にするわ」。
これは確かにばかげた話ですが、私たちも同じように愚かなことをしているのではないでしょうか。自分のからだのことばかり考え、そのためだけに時間を費やしてはいないでしょうか。からだは先ほどの「小箱」のようなものにすぎません。けれども、その中には、本当の自分――たましい――が宿っているのです。たましいは、大きな価値がある宝石のようなものです。イエス・キリストが私たちのたましいを非常に重んじてくださったからです。イエス・キリストは何が価値あるものであるか、よくご存じのお方ですが、そのお方がご自分のいのちを捨ててまで、そのたましいを救う価値があると考えてくださったのです。もっとも、あなたはこれまで、このようなことをあまり深くお考えになったことがないかもしれませんが。
この本をまじめに、何よりも正直な気持ちで読んでくださるよう、お願いします。ご自分とご自分の未来を大切にし、この機会によく考えていただきたいのです。
本書を最後までお読みください。今こそ、「恵みの時」、「救いの日」だからです(Ⅱコリント六・2)。期日や時間に遅れ、取り返しがつかなくなることは、しばしばあります。たましいの問題をないがしろにするなら、永遠の幸いを失うことになるのです。それは昔も今も、これからも変わりません。それにもかかわらず、多くの人が(そのほかの点では聡明で思慮深いにもかかわらず)恐ろしい危険を冒しています。「時間ならたっぷりあるさ」といった、ほとんど自滅的とも言えるような口実をもうけて、最も重要な問題について考えることを先延ばしにするのですから。
私たちはみな永遠の世界に行くことになるのですが、そのことについて話すと、たいていの若者は次のように答えます。「また、気が向いたときにでも、ゆっくり考えてみようかな」。けれども、中年の人からも、年老いた白髪の人からさえも、やはり同じような答えが返ってくるのです。「いずれ、そのうちに……」。
けれども、「死」は情け容赦のない怪物です。その恐るべき力を正しく理解するだけで、死に対する態度は一変してしまうことでしょう。毎日、この地球上で、いったい何人の人が死を迎えるのでしょうか。人口何十万人かの町が、毎日ひとつずつ、永遠の世界へ消え去るようなものです。時計がカチカチと秒を刻むごとに、間違いなく、何人もの人が死んでいるのです。こう考えると、死の力というものが痛切に感じられるのではないでしょうか。あなたが一時間かけてこの本を読み終えたとしたら、そのときには、いったい何人の人がこの世を去っているでしょうか。まことの神に会うために……。
十二歳のとき、私は死を強く意識しました。死が私の家にやって来て、愛する祖母を奪い去ったのです(私は幼児のころも、小学生のころも祖母の世話になりました)。大好きだった祖母の顔が、じっとして動かなかったことを覚えています。祖母は静かに横たわり、年老いた顔は大理石のように白く、冷たくなっていました。いつか自分も同じように死んで冷たくなることは知っていましたが、私には死への備えができていませんでした。
しかし、今の私には備えができています。それは、私が何かをしたからではなく、主イエス・キリストを信じたからです。キリストが私の罪のために死なれ、私が義と認められるためによみがえられたことを信じたからです。なぜ私が主イエス・キリストを救い主として受け入れたのか、できるかぎり簡単にお伝えしたいと思います。
次の順序にしたがって、ともに考えてみましょう。
(1) 天地万物を創造された、唯一まことの神がおられます。
(2) 私たちはみなひとり残らず神の御前に罪人です。
(3) 人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっています(ヘブル九・27)。
(4) 神は私たちのために救いを備えてくださいました。私たちはその救いのご計画を理 解することができます。