人の問いと神の答え
キリストの救いについて
ウィリアム・マクドナルド著
たとえ、あなたがクリスチャンではなく、クリスチャンになる方法をご存じないとしても、そのことに関心を持ち、真摯に耳を傾けようと思っておられるならば、これから記すことに興味を持たれることでしょう。
この本には、聖書のメッセージが一連の「問いと答え」という形で記されています。あなたがお尋ねになりそうな質問と、それに対する回答が、聖書に基づいて記されています。
では、何から始めましょうか。まず、「罪」というテーマから考えていきましょう。罪こそ福音の必要性を生じさせたテーマだからです。
罪について
◆罪とは何ですか?
罪は「不法」を意味します。すなわち、神や他の人のことはお構いなしに、心のおもむくままに振る舞うことです。罪とは「的をはずす」ことであり、考えやことばや行いにおいて神の完全な基準に達しないことです。また、正しいとわかっていながら、それを行わないことも罪です(ローマ3:23、ヤコブ4:17、Ⅰヨハネ3:4)。
◆最初の「罪」はどこで発生しましたか?
最初の罪は天で発生しました。ルシファーという御使いのかしらが神の座に着くことを欲したのです。彼は天から追放され、サタン(悪魔)として知られるようになりました(イザヤ14:12-15)。
◆罪はどのようにして、この世界に入ってきたのですか?
罪は最初の人アダムをとおしてこの世界に入りました。彼は神に背き、エデンの園で、食べるのを禁じられていた木の実を食べました。その不従順によって、罪がこの世界に入ったのです(創世記3:1-13)。
◆どうして神はそれをお許しになったのですか?
神は人間を「善悪を判断したうえで、自分の行為を自由に選べる存在」としてお造りになりました。神の願いは、人間がみずから進んで神を愛し、神を礼拝し、悪を憎み、善を行うことでした。ですから、人間は必然的に、善を選ぶ力だけでなく、悪を選ぶ力も備えていたのです(創世記2:15-17)。
◆もし、罪を犯さなければ、アダムはどうなっていたのですか?
エデンの園でいつまでも人生を楽しんだことでしょう(創世記2:17)。
◆罪を犯したとき、アダムに何が起こったのですか?
(1)神に対して霊的に死んだ者となりました。
(2)病気や死といった肉体的な弱さを持つようになりました。
(3)純真な心を失い、不正な者、汚れた者、罪ある者、失われた者、敵対する者、神から遠く離れた者となってしまいました(創世記3:7、エペソ 2:1-3)。
(4)罪を持ったまま死ぬと、永遠のさばきを受けることになりました。
◆アダムの罪はその子どもたちにも影響しましたか?
アダムの罪の性質は、彼の子孫全員に引き継がれました。「ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです」(ローマ5:12。13-19も参照してください)。
◆アダムの罪のため、私たちもみな、「罪人」としてこの世に生まれて来たのだとおっしゃるのですか?
そのとおりです。アダムがもうけた子どもたちは、みな彼の性質を受け継ぎました(それは罪深い性質でした)。ですから私たちの子どもも、善悪について教えられる前から悪を行う方法を知っているのです(詩篇51:5)。
この原理をたとえによって説明しましょう。料理に使う金属製の「流し型」をご存じでしょう。ゼラチンを使ってゼリーを作るときのことを思い浮かべてください。もし、そのゼリーの型を落としてへこませてしまったら、それ以後、その型を使って作るゼリーはすべて「くぼみ」のあるものになってしまいます。
◆聖書の話を一度も耳にすることなく死んでいった人々はどうなるのですか?
神はご自分を全人類に明らかにしてこられました。聖書によってだけでなく、人間にお与えになった「良心」によっても、また、私たちの周囲に存在する「被造物」によっても。もし、聖書の話を聞いたことがなくても、真理を求め、神の存在を信じ、良心に従って行動するなら、神はそのような人にさらなる真理をお示しになり、その人をお救いくださるでしょう。しかし、人々はまことの神に関する知識を拒み続けてきました。そして、木や石で出来た偶像を拝んできたのです。ですから、彼らには、弁解の余地がありません。(ローマ1:20)
キリストなしではあなたのたましいも永遠に苦しむことになります。ですから、私たちクリスチャンはあなたにも福音を伝えているのです。