聖書のエッセンス
やさしい聖書入門
台 豊 著
はじめに
多くの人にとって、聖書は、「関心はあるが、あまり知らない」、そういう本ではないでしょうか。
そのような方のために、聖書のメッセージをわかりやすく、また奇をてらわずオーソドックスなスタイルで説明したい、そういう願いをもってこの本を著しました。
本書が、聖書に関心のある方々、集会などで聖書の話を聞いておられる方々のために、少しでもお役に立てるなら幸いです。
どの章にも、それぞれのテーマを説明するための例話やエピソードが出てきますが、その多くは、聖書のメッセージをわかりやすく伝えるために努力を重ねられた先人の業績によっています。この教会の遺産ともいうべき先達のご努力に、心からの感謝と敬意を表する次第です。
また、野城喜代治兄、斉藤玲子姉、吉井光子姉には、原稿に目を通していただき、貴重なアドバイスをいただきました。記して感謝を申し上げます。
最後に、出版の機会を与えてくださった伝道出版社のJ・B・カリー兄、そして本書の出版のために多くの労をとってくださった北嶋幹士兄に、心からの御礼を申し上げます。
二〇〇三年十二月
台 豊
目 次
第一章 うさぎ・ナナフシ・アインシュタイン ――― 神について
第二章 こわれた水ため ――― 人について
第三章 最も有名な人 ――― イエス・キリストについて
第四章 上品? それとも下品? ――― 罪について
第五章 日曜日のできごと ――― キリストの復活について
第六章 ふしぎな本 ――― 聖書について
終 章 おわりにひとこと
第一章 うさぎ・ナナフシ・アインシュタイン
――― 神について
皆さんは、「神」はおられると思いますか?
キリスト信者は、「神」の存在を当然のことと確信していますが、占いやお守りは信じません。
逆に日本の社会では、けっこうな数の人が占いを気にしたり、お守りをつるしたりするのに、「神」が話題になると、どういうわけか、とまどいを感じるようです。いわゆる「無神論」こそ冷静で科学的な態度である、と考える人も少なくありません。
無神論 ?
「無神論」について、作家の三浦綾子さんがおもしろいことを言っています。
はじめ、三浦さんはクリスチャンをとても嫌っていました。そして
「私は無神論者だ。神を信じるなど非科学的だ。」
と言っていました。
ところがあるとき、ひとりのクリスチャンから、
「それでは、あなたの『無神論』とはどういうものなのか、ひとつ聞かせてください。」
と質問されて、答に詰まってしまったそうです。
その後クリスチャンになった三浦さんが、昔の自分と同じような「無神論者」にこの質問をしてみると、その反応も昔の自分と同じようなものだった、とある本の中で書いておられます。
あなたの「無神論」はいかがでしょうか? 「神はいない」と考えておられる方は、ご自分の「無神論」なるものについて、どれだけ自分の頭を使って、突きつめて考えるという作業をされたでしょうか? ちょっと胸に(頭に?)手を当てて考えてみていただきたいのです。
ひょっとしてあなたの「無神論」は、「神は目に見えない、耳に聞こえない。だから神はいない」というだけの、ある意味とても原始的なものではないでしょうか? それ以上の考えをお持ちでしょうか。もしお持ちでないとするならば、しばらく「神」について聖書の語るところを聞いていただきたいのです。
ナナフシが考えたのか?
皆さんは「ナナフシ」という昆虫を見たことがありますか?
細い木の枝にそっくりの形と色をして、じっと木に止まっている昆虫です。やはり昆虫学者は、ナナフシも、自分の身を守るために木の枝の形と色をしてカモフラージュ(擬態)しているのだ、と説明します。南米にベネズエラという国があります。このベネズエラの森や林は、湿気が多くて木にコケが生えています。そこでベネズエラのナナフシも、ごていねいなことに、ベネズエラのコケと同じ色のマダラ模様を身につけて、木の枝に止まっています。これは偶然でしょうか?
ナナフシの親戚に「コノハムシ」という昆虫がいます。こちらは、その名のとおり木の葉にそっくりです。葉っぱの形と色をして、背中にはちゃんと葉脈(葉っぱの筋)まで、描いてあります。これまたごていねいに、ちぎれたあとや虫に食べられたあとまでマネしたものもあります。風に揺れるように、ゆらゆらと左右に体を動かすものもいます。本当に頭がいいですね。
でも、コノハムシの頭がいいんでしょうか?
皆さんはナナフシやコノハムシが、自分で考えて木の枝のかっこうをしてみたり、コケのまねをしたり、木の葉っぱになったり、自分の体に葉脈を描いたり、虫食いのあとをつけたり、ゆらゆら 左右に揺れるなんて芸当──そう、まさに「芸当」という言葉がピッタリです!──を考 えついたと思われるでしょうか?
そう思わないのであれば、そんなに「万事つごう良く」考えたのは、一体だれ? なんでしょうか。正直に考える。こんなふうに、私たちは、自然界にあるもののふしぎな仕組みを見るならば、知性のないはずの存在が、どういうわけか、とても精緻で合理的にデザインされていることがわかります。
雪が降る頃には、白くなるように。春が来れば、茶色になるように。夏の草むらでは、緑色になるように。秋の草むらでは、茶色になるように。木のある所では、 枝に見えるように。葉っぱのある所では、葉っぱに見えるように。コケのある所では、コケに見えるように。
これらの生き物を合理的にお造りになった「神」のおられることを、アインシュタインでなくても、簡単に知ることができます。
「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」(ローマ人への手紙1章20節)